「流浪の月」のあらすじ【ネタバレ注意】2020年本屋大賞受賞作

小学4年生誘拐事件

10年以上前に発生した、当時小学4年生の女児の誘拐・監禁事件。
被害者の女児の自宅近所の公園で誘拐され、2カ月後に犯人と一緒に動物園にいた所を発見、保護される。

事件当初はローカルニュースで取り上げられる程度だったが、犯人が未成年の男子大学生だと分かったとたんメディアの取材は白熱し、全国区のワイドショー番組で一斉に取り上げられた。


“以下はネタバレ記事です。ネタバレが嫌な方は見ないでください。”

「流浪の月」のあらすじ

休日のファミリーレストランにて(前)

少女は以前から食べたかった桃のパフェを前にして、目を輝かせていました。
少女と同席していたのは30代手前に見える男女。
少女の両親にしては若く、友だちにしては年が離れすぎています。

少女は友達から電話が来たため席を外しますが、隣の席の男子高校生たちが雑談の流れで幼女誘拐事件について各々の携帯電話で調べていました。
すると、9歳の少女が大学生に誘拐された事件の逮捕の瞬間の動画が見つかり、少女の「ふみいいい、ふみいい」という泣き声がホールに流れ始めます。

隣にいる男女は素知らぬふりをし、女性は男性に今度の引っ越し先をあれやこれやと話すのでした。

出会いと別れ

更紗の母親はやりたいことを我慢しない主義で、好きな時にお酒を飲み、作りたい時に料理を作り、夕飯にアイスを食べる人でした。
周囲からは浮世離れしていると煙たがられていましたが、更紗の父親は公務員として働きつつ、母親のことを愛し、尊重し、受け入れていました。

そんな両親に育てられた更紗は、彼らの価値観を受け入れていたので、周囲からは変わり者とみられていても全く気にせず家族3人で仲良く暮らしていました。
更紗にとって我が世の春だった日々は、突然終わりを迎えます。
最初に父親が消え、次に母親が消えてしまったので、更紗は母方のおば(母親の姉)に引き取られ、おば一家(おじ、おば、いとこ)と暮らすことになります。

おばの家は“クラスメイトとは仲良くすること”、“夕飯はきちんと食べること”が当然の価値観の家でした。
更紗は今までの価値観をつらぬけるほど強くはなかったので、おばの家に合うような―――きちんとランドセルを背負って、学校では友だちと遊ぶような―――常識のある子どものふりを始めます。

学校帰りにクラスメイトといつもの公園で遊んでいると、そこには1人の青年がベンチに座っていました。
彼は毎日公園にやってきてはベンチに座って文庫本を開いていますが、目線は遊んでいる少女たちに向いていたので、少女たちからは“ロリコン”と言われていました。

夕方5時になり、更紗と友達は公園を離れてそれぞれの家に帰る……というのはただのポーズで、更紗はいつもそこから公園に引き返し、日が落ちるまでベンチで本を読むのが日課になっていました。
おばの家だと息苦しく安心してすごせない更紗は、自分が外にいれるギリギリの時間まで公園で青年と同じ空間で本を読んでいたのです。

そうして日々はすぎ、更紗はますますおばの家で用心してすごさなければなりませんでした。
無防備になると、いとこが自分に何をしてくるかわからないのです。

そんな心身が休まらない日々が続いたあるむし暑い日、天気がくずれそうだと早めにクラスメイトと別れた更紗は、いつも通り公園に戻って本を読んでいましたが、とうとう雨が降り出してしまいます。
雨にぬれたまま動かない更紗に、「帰らないの?」と声をかけたのは、“ロリコン”と言われていた青年でした。

初めて青年の顔をじっくりみた更紗は、彼が自分の父親にどことなく似ているという印象を持ちつつ「帰りたくないの。」と答えます。
更紗の答えに青年は「うちにくる?」と言い、彼女は「いく。」と意思を示して身ひとつで彼についていきました。

青年は佐伯文と言い、大学進学を機に上京した一人暮らし大学生でした。
文自身は彼の母親が愛読していたという育児書にしばられたような生活を送っていました。
きちんと早起きし、きちんと栄養のある食事を3食とり、身の回りはきちんと整える。

ですが、更紗が夕飯の代わりにアイスを食べたいと言っても拒否せず、彼女にアイスを与えます。
両親とすごした日々のような居心地の良さを感じた更紗は、いつまでもここにいていいか聞くと、文は構わないと答えます。
“ロリコン”だと思われていた文は、更紗に手を出さないどころか寝る部屋も別々でした。

ある日2人で食事をとっていると、更紗は自分が不審な男に誘拐されたというニュースを目にします。
文に帰ったほうがいいか聞くと、彼は「帰りたいなら、いつでも帰っていい。」という答えだったので、更紗は「ここにいたい。」と伝えます。

逮捕されると自分の秘密が暴かれてしまうのは困るという文。
あきらかにできないから秘密なんだけど、抱えることも苦しいから、いっそ全部ばれてしまえばいいと思うときもある。」と言う文は、ぽっかり空いた真っ黒なふたつの穴のような眼をしていました。

更紗の価値観を否定はしないが、付き合いもしない文でしたが、ともに生活するうちに彼女に感化され始めます。
ジャンクなたべものを食べたり、ごろ寝でTVを見たり、朝寝坊をしたり。

とある休日に彼らは自分たちが好きなDVDを観ていました。
更紗がリクエストした『トゥルー・ロマンス』の映像が流れる中で、彼女はぽろりと文に自分の身の上を話すのです。
父親が急性の病で1年もたたないうちに亡くなったこと。
夫の死がショックで耐えられなかった母親は“お菓子”という男性たちを食いちらかし、“お菓子”と一緒にどこかへ行ってしまったこと。
引き取られたおばの家で、いとこに性的虐待を受けていること。
すべてを話した更紗は泣き出してしまいますが、文は無言で彼女の頭をなでるのでした。

文と生活して2カ月たったある日、テレビのニュースで話題になっていたパンダを見たいと更紗は文にねだり、2人は動物園に出かけます。
久しぶりの外出ではしゃぐ更紗ですが、そこで自分が誘拐された“家内更紗”だとバレて通報されてしまいます。

文は大勢の警官に取り押さえられ、更紗はただ文の名前を叫ぶことしかできませんでした。
更紗が保護され、文が取り押さえられた場面を周囲の野次馬たちが携帯電話で撮っていたので、2人は決して消えないデジタルタトゥーを押されてしまいました。

保護された更紗は、カウンセラーから文の家ですごしたことを聞かれたので、文がしてくれたことを話しますが、いとこにされたことはどうしても言えませんでした。
言えなかったことが不自然な動きとなり、更紗が文に何かされたと誤解されてしまいます。

おばの元に帰された更紗は、夜になって以前のように自分を犯しにきたいとこを酒瓶で殴りました。
それにより、いとこの行為がおばとおじに明らかになりましたが、周囲にはバレませんでした。
後日更紗はおばの家を出て、児童養護施設ですごすことになるのです。

再会

事件から15年後。
更紗は高校卒業と同時に施設を出て、ファミレスで働きつつ恋人と同棲生活を送っていました。

恋人の亮の実家は山梨にあり、母親代わりに育ててくれた祖母の具合が最近あまりよくないことを聞かされます。
今度の日曜に一緒に山梨に行こうと誘われますが、亮の“ちゃんと説明したら(更紗のことを父祖母は)許してくれる”という言葉にひっかかりを覚えた更紗は、とっさに日曜日はシフトが入っていると嘘をついて断ります。

亮も寝た部屋で、更紗はひとり考えていました。
自分は事件後から“つらい過去を持つ傷物にされた女の子”というレッテルをはられ、世間からは“かわいそうな子”としか見られなくなったこと。
文について本当のことを話しても、誰も信じてくれなかったこと。

そして、彼女は定期的にパソコンで自分の名前と誘拐事件についてネットサーフィンし、文の生い立ちやら、誰かが映した動物園での文が確保され、彼の名前をさけんでいる幼い自分の動画をながめるのでした。

亮が大阪出張で不在の日、職場の送別会に参加した更紗は2次会となったカフェ『calico』で文と予想外の再会をはたします。
文は夜8時から朝方5時まで営業しているカフェ、『calico』のマスターになっていました。

それから更紗は残業があると亮に嘘をついて、仕事終わりに『calico』に立ち寄るのが日課となっていましたが、文は更紗に気づいている様子はありませんでした。
文は15年前とあまり変わらず、とても30代の男性には見えませんでしたが、メガネと前髪で顔を隠し、接客は最低限しか行いません。

亮から山梨行きをせっつかれ、更紗は文との本当のことを話そうとしますが、今までの人たちと同じく“本当はつらいのに、それをごまかすために更紗は強がっている”という反応をとられてしまいます。
更紗はまた同じ絶望を味わいながら、同行を拒否するのでした。

そんなある日、いつも通り仕事終わりに『calico』に立ち寄った更紗の前に亮が現れます。
予想外の亮の出現に更紗は凍りつきますが、彼は終始笑顔で彼女を責めることはありませんでしたが、家のコーヒーサーバーを手が滑ったと割りました。

翌日、更紗は店長から亮が電話で更紗に内緒で自分のシフトを教えて欲しいとしつこく聞かれたことを知らされます。
更紗はいつも通り夜8時から『calico』ですごしますが、亮から来るメールに“今日は帰らない”と返します。
30分後に亮が『calico』に現れ、更紗がいないことを確認すると(更紗は近くのバーで亮の様子をうかがっていた)、近くの自動販売機をけって帰っていきます。

『calico』の閉店時間、朝5時になると文はカフェから出てきますが、彼の隣には見知らぬ女性がいました。
更紗は思い切って文に「わたしを覚えてる?」と声をかけますが、彼は動じる様子もなく「最近、よく店にきてくれますね。」とだけ答えて彼女の前から立ち去るのでした。

更紗は“ロリコン”の文が大人の女性を愛せたことに安どを覚えますが、それと同時に過去の出来事を共有できた唯一の人を失った寂しさも覚えます。
更紗はネットカフェで仮眠を取って仕事先へ向かいますが、仕事終わりの時間に亮が迎えにきたので、やむをえず一緒に帰ります。

家につくやいなや、亮は更紗の腕を強くひっぱり中へと押し込み、反動で彼女は玄関の床に倒れこみ、肘を強打します。
亮は更紗を強い力で抑え込みながら、“最近の更紗はおかしい、『calico』のマスターのことが好きなのか”と厳しく追及しますが、彼の携帯電話が鳴ります。
電話は亮の父からで、祖母が倒れて救急車で運ばれたという内容でした。
一緒じゃないと山梨に帰らないとゴネる亮に根負けした更紗は、2人で山梨に行くことにしたのです。

山梨の病院で亮の祖母を見舞った更紗は、彼の父親とおば(父親の妹)を紹介されます。
更紗の意思とは関係なく亮との結婚の話が進む中、同席していた亮のいとこから前の彼女ともDV騒ぎを起こしたこと、彼の父親も母親に暴力をふるい、それが原因で離婚したことを聞かされます。
その夜、亮の実家に泊まった更紗は、亮から“もうあんなこと(店に電話したり乱暴したり)2度としない”と謝られ、彼女はもう『calico』に行くのはやめようと決意するのです。

カフェに行かない代わりに、パソコンで文のことを検索していた更紗の目に留まったのは、過去の事件のまとめサイト。
自分の事件の記事が新しく更新されており、そこには『calico』が入るビルの外観と中にいる文らしき人物が写る写真が投稿されていました。

文の平穏が壊れる可能性を恐れた更紗は、カフェの周りと文が今住んでいるマンション付近に不審者がいないか確認していたところを、文の彼女とはち合わせし“今度見かけたら警察に通報する”と警告されてしまいます。

文の彼女から警告を受けた更紗は、文についてパソコンで調べることもやめました。
以前の日常が少しずつ戻り始めたある日、同僚の安西さんから不倫相手とどうしても2人きりで旅行したいから自分の娘を預かってほしいと頼まれ、更紗は彼女の娘の梨花をあずかることになりました。
亮も加わり梨花との時間は楽しくすぎましたが、彼女が帰った後で更紗は例の事件のまとめサイトが再度更新されたことに気づきます。

更新された写真は、前の写真より『calico』の外観と中にいる文の顔がわかるものでした。
そして、更新された写真には梨花がはいていたサンダルと同じものが写りこんでおり、写真を撮ったのは亮なのではないかと更紗は疑います。

帰ってきた亮に問うと、彼は答える代わりに更紗の左ほほを殴り、髪をつかみ床へ投げ飛ばします。
「文、文、文って、おまえら、どうなってんだ。あの男は、おまえを誘拐した変態のロリコンだろうが!」
横腹、腰、太もも、あらゆる箇所を殴られ、さらに犯されそうになった更紗は手近な花瓶で亮を殴り、家から逃げ出します。

更紗は人目につかないように歩き続け、ついた場所は文のいる『calico』でした。
窓の向こうから店内をのぞいていた更紗に気づいた文は、店内を出て「どうしたの?」と声をかけました。
亮から受けた暴力でひどい有様になっていた更紗に、文は15年前と同じように「店にくる?」とたずね、更紗も「いく。」と答えます。

文から傷の手当てを受けながら、一緒にいた女性が谷という名の恋人であること、今は“佐伯文”ではなく“南文”と名乗っていることを更紗は知ります。
まるで昔に戻ったかのように、文に対して自分の感情を素直にはき出す更紗でしたが、そこに亮がやってきました。

店のドアは事前に鍵をかけていたので開きませんが、ドアの前で亮は怒鳴りながらドアをけり上げます。
ドアをける音が止んだ後、こつんという音と“もう絶対にあんなことはしない。反省してる、ごめん、話し合おう”という哀願に変わりました。
更紗はたまらず耳をふさぎますが、文に渡されたアイスコーヒーを飲むと、すとんと眠りの中に入っていきました。

1時間ほど眠り、少し頭がすっきりした更紗は「帰って、いろいろ、ちゃんとしなきゃね。」と言い、『calico』を出てドアの前にいた亮と一緒に帰宅します。

翌日ひどい傷跡が残ったまま出社した更紗は、安西さんに亮と別れることを話し、彼女の知りあいである夜逃げ屋を紹介してくれるように頼みます。
そのまま不動産屋に向かった更紗は、今の給料で暮らせる部屋を探しますが、途中で文の住んでいるマンションが目にとまります。
文の住むマンションに空き部屋がないか確認すると、ちょうど彼の隣の部屋が空いていました。
更紗は予算オーバーするのを承知で、文と同じマンションに引っ越すことに決めました。

夜逃げ屋から連絡が入り、更紗は最低限の荷物だけを持って新居へと引っ越します。
文の隣の部屋で一人暮らしを開始しますが、文にはバレないように気をつけて生活するつもりでしたが、早々に彼にバレてしまいます。
当の文は嫌がる様子もなく、あっさりと更紗の行動を受け入れました。

更紗は恋人の谷さんには変な誤解を与えてしまうからバレないようにすると言い、彼女と出会った経緯を文にたずねると、文は彼女とは心療内科で知り合ったと答えました。
谷さんの悩みは知っているが、自分の悩みや本名を打ち明けていないことを明かした文は、幼い更紗が見た暗いふたつの穴のような目をしていました。
更紗は文が大人の女性を愛せないままであることを知りますが、何もできない無力さを痛感するだけでした。

そんなある日、とうとうおそれていた事態が発生します。
更紗の勤め先であるファミレスに亮がやってきたのです。
何とか亮の目を振り切り、マンションまで更紗はたどり着きますが、玄関先で待ち伏せしていた亮につかまってしまいます。
亮から“文にひどいことをされたのに、一緒にいるなんて頭がおかしい”と言われた更紗は、再度文は何もしていないと説明しますが、髪の毛をわしづかみにされてドアにたたきつけられるだけでした。

通りがかった人に通報され警察騒ぎになりますが、更紗が話し合うと答えたので、亮は連行されずに済みました。
これが本当に最後だから戻ってきて欲しいと頼む亮に、更紗はうなずくことはなく、「もう見捨ててほしい。」と言いました。

翌日、安西さんからまた梨花をあずかってほしいと更紗は頼まれます。
新居に梨花をむかえ入れ、文も巻き込んで3人で楽しいひとときをすごしますが、梨花が熱を出してしまいます。
当日は仕事を休みましたが、続けて休むはキツイと思っていた更紗に、文が昼間は自分が見ているから仕事に行くように言います。
過去、“ロリコン”で捕まった自分が梨花と2人きりになるのは不安ではないかと文は更紗にたずねますが、彼女は「文は嫌がっていることを無理強いする人じゃない。」と答え、彼が提案した監視カメラの設置を拒否します。

梨花は数日で元気になりますが、母親の安西さんから2~3日預かるのを延長してほしいと頼まれてしまいます。
残業で帰る時間が遅くなり、梨花の待つ部屋にあわてて帰る更紗でしたが、運悪く谷さんとマンションではち合わせてしまいます。
文のストーカーだとカン違いしている谷さんは、更紗を連れて警察署へ向かいますが、文のとりなしでことなきをえました。
警察署からの帰り、谷さんから文との出会いや、彼女が病気で片胸を取ったことにより心身が不安定になったことを知らされます。

約束の2~3日を過ぎでも安西さんはむかえに来ず、梨花はなかなか布団から出てこなくなり、体調も思わしくありません。
梨花の心情を案じたまま出勤した更紗は、お店の人から週刊誌に自分の近況が掲載されていることを知らされます。
記事には、過去の誘拐事件の被害者が加害者と一緒のマンションに暮らしており、元少女は元青年の洗脳が解けていないと書かれていました。

数日後、同じ週刊誌が第2弾として、元彼氏のN(中瀬亮)のインタビューが掲載されていました。
亮は記者に語ります。
“加害者は被害者の知り合いの少女と最近親しくしており、再度同じ事件が再発するのではないか”、と。

とうとう勤め先からはクビを宣告され、更紗は逆らうことなく荷物をまとめて店を出ますが、記事のことで亮に連絡を入れ、亮の家で会うことになります。
亮に取材を受けるのをやめてもらうように頼みますが、“更紗は更紗で勝手にしているのだから自分も勝手にする”と言われてしまいます。
亮の言い分もっともかもしれない、と思った更紗は何も言わずに亮の家を出ますが、突然彼が家から飛び出し、彼女に復縁をせまります。
勢いあまったはずみで階段をふみ外して気を失った亮は、救急車で病院に運ばれますが、目をさました彼が更紗を指さし「この人に、突き落とされました。」と言ったのです。

更紗は警察署へと連れていかれ、取調室で亮との経緯を確認され正当防衛とされますが、一方で文のことをたずねられます。
週刊誌の記事を知っている警官は、更紗と文が同じマンションに住んでいること、知人の子どもを預かっていること、子どもが体調を崩していて文が面倒をみていることを更紗に確認していきます。
文は少女に何かする人間ではない、と更紗は今までと同じように警官にも伝えますが、今までと同じく伝わらず文は警察署へ連行されてしまいます。

ようやく解放された更紗は、同じく警察署へ連れてこられた梨花と出会いますが、梨花はそのまま警察署で預かることになりました。
警官から被害者ネットワークのパンフレットを渡されますが、「わたしにわいせつ行為をしたのは文ではなく、わたしが預けられたおばの家の息子です。文は、あの家から、わたしを救い出してくれたたったひとりの人でした。」と更紗は初めていとこのことを文以外の他人に伝えたのです。

すると、解放された文が生気をなくしたように出てきたので、更紗はパンフレットを置き去りにして彼にかけよります。
更紗は文の手を取り、彼を支えて警察署を出て行く光景を周囲はバケモノを見るような目でみていました。

タクシーで家に帰ると、マンションのエントランスに谷さんが文を待っていました。
週刊誌のことや、“ロリコン”だから自分を抱かなかったのかと聞かれた文はこの上もなく冷淡に「ああ、そうだよ。」と答えます。
しかし、更紗は気づいていました。
文はふるえ、ひび割れる寸前だということを。

谷さんは文に別れをつげ、フラフラの文は家に戻らずどこかへ行こうしますが、更紗は「わたしも一緒にいく。」と言います。
「俺のことなにも知らないのに。」と言う文に、更紗は自分の知らない文を教えてほしいと伝えます。

文はうつむいたまま「いつまでたっても、俺だけ、大人になれない。」とぼそりと言いました。
文の言葉に、更紗は気づきます。
今まで自分が思っていたことは、全く違っていたのではないかと。

そして、文はせきをきったように語り始めたのです。

彼の告白

文が自分の体に違和感を覚えたのは、中学生に入ったころでした。
周囲の同級生に体の変化―――声が低くなる、ヒゲがはえてくるなど―――がおとずれ始めていましたが、彼の体には何の変化もなかったのです。

高校生になってようやく少し体毛が濃くなり、声も少し低くなりましたが、それ以上の変化は起こりませんでした。
外見は中性的でごまかせても、裸体になってしまうと自分が同級生と違うことがはっきりわかってしまいます。

文は恐怖しかありませんでした。
自分の母親は自身の理想を完璧にこなすという意識が強く、自分の家族にも理想像をえがいていたからです。
自宅に植えられたが育たずに捨てられた“ハズレのトリネコ”のように、自分も捨てられてしまうのか。

文は自分の体に何が起こっているのか調べた結果、“第二次性徴が来ない病気”というのを見つけます。
自分も第二次性徴が来ない病気なのか、違うのか。
病院で詳しく調べたい気持ちもありましたが、トラブルに弱い母親や、父親や兄の反応が怖くて言い出すことができませんでした。

いつまでも自分の体に成長がおとずれない文は、じょじょに男という性からはじかれてしまうという恐怖に怯え、本命の大学の受験に失敗。
すべり止めの大学に通うため上京して一人暮らしをすることになります。

完全に周囲と同じレールから外れてしまったと感じた文は、未発達の少女たちに視線をむけることにしました。
自分は大人の女性が好きなのではなく、少女が好きなのだ”と無理矢理思いこもうとしますが、思いこみはますます自分自身をおいつめるだけでした。

そんな中、文がいつも通っている公園で、友達と一緒に遊んだ後に戻ってきて本を読む少女をみかけました。
違うベンチでお互い本を読んでいましたが、雨が降り出したある日初めて文は少女に近づき、彼女は自分と同じように居場所がないのだと悟ります。

少女を見捨てられない文は、少女を自分の家に誘います。
文は少女を自分の家に連れて行く時、無意識に覚悟したのです。
少女を連れていくことによって遠からず自分は警察につかまり、調べられ、自分の体のことが強引に暴かれることを。
そうなってもいいと思えるくらい、文の精神は限界に近かったのです。

少女、家内更紗とすごす日々は文にとっては予想外に楽しいものでした。
自分とはまるで違う更紗が自由の象徴のようまぶしく、バレるだろうと分かってはいましたが、文は動物園へ行きたいという彼女の提案を却下できませんでした。

案の定文は動物園で逮捕され、身体検査で体の異常が見つかります。
告げられた病名は、文が以前調べていた病気と同じものでした。
医療少年院に送られ治療を受けますが、すでに20歳の体ではほとんど変化は起こりませんでした。

自分の身体の異常がハッキリと分かったことにある種の安どは覚えた文でしたが、代償はあまりにも大きかったことに気づきます。
自分が引き起こした事件は家族にも多大なる被害を及ぼし、文はただあやまることしかできませんでした。

出所後、文は家族から戻ってくるように命じられ、家の庭に建てられた離れで暮らすことになります。
誰の迷惑にもならないように、ひっそりと離れで暮らしていた文でしたが、母の介護を機に兄夫婦が同居することになり、彼は実家を離れることになります。

インターネット上の自分の事件のサイトで、更紗がK市で暮らしているらしいという情報を見つけます。
文は過去の希望にすがるかのようにK市に引っ越し、生前贈与でもらった資金でカフェを開きました。

“更紗に会いたいが、会った時に憎しみの目を向けられたらと思うと怖い”という気持ちで文は精神的に不安定になり、心療内科を受診します。
そこで南さんと出会い、彼女と対話することで一定の安定を得ることができました。

それから4年後、『calico』のドアが開き、更紗が現れたのです。

それから

週刊誌の記事の影響で、インターネットでは様々な情報が飛び交い、文と更紗のマンションや『calico』も特定され、2人は引っ越さざるをえず、カフェも閉店に追いこまれました。

最初文は、自分と一緒にいると更紗にも非難の目が向けられる、と拒みますが、文の告白を全て聞いた更紗は、彼の手をしっかり握り一緒に暮らすことを選びます。

お互い恋をしたわけでもなく、キスも、抱き合うこともない。
ただ、彼らは2人で一緒に生きていくことを選びました

休日のファミリーレストランにて(後)

電話のために離席していた梨花が戻り、更紗と文に“高校生になったら2人のいる長崎に遊びにいく”と伝えます。
週刊誌の騒動から5年の月日が経過しており、更紗と文は長崎で地元客相手のカフェを開いていました。

隣の男子高校生たちは、相も変わらず女児誘拐事件の話をしています。
誘拐された少女が逮捕された佐伯文のことが忘れられず、彼の出所後一緒に暮らし始めたこと、“洗脳された少女と誘拐犯どっちも病気だ”と言う高校生たち。

たまらず梨花は高校生たちをたしなめ、ばつが悪くなった彼らは慌てて店を出て行きます。
梨花は去年ようやく更紗と文の過去の事件を知り、“2人は悪くない”と言って泣いてくれました。

ネット社会の世の中、2人の過去は決して忘れさられることはないでしょう。
事実と真実はちがう
それを分かっているのは、更紗と文、梨花、3人だけです。

梨花と別れた帰りの新幹線。
いつものように2人はタブレットで映画を観ながら、たべものをつまんでいました。
更紗は「今のところがほんとにダメになったら、今度はどこにいきたい?」と深刻そうな話をいたって機嫌よく文にたずねます。

うたた寝を始めた更紗を見つめながら、文は“どこへ流れていこうと、ぼくはもう、ひとりではないのだから”と思い、目を閉じました。

「流浪の月」の考察

『流浪の月』を読んでいて私が一番気になったのは、“なぜ更紗はいとこに性的虐待を受けていたことをなかなか言えなかったのか”というところです。
文の監禁事件(と世間では認知されている)については何度か他人に話していますが、前提であるいとこからの性的虐待について話そうとしたのは本編の中では3回しかありません。

1回目は文に、2回目は亮に話そうとして途中でさえぎられ、3回目は自分を心配してくれている警官に話しています。

なぜ彼女は話さなかったのか、理由を自分なりに考えてみます。

まず考えられるのは、自分が親族から性的虐待を受けていたとカミングアウトしづらい、ということです。
更紗に限らず、自分が性的虐待を受けたことをみずから言い出すのは、なかなかハードルが高い行為です。

自分がされたことの意味が分からなければ、自分がされたことをためらいなく話すはずです。
しかし、更紗はいとこの性的虐待のことを「毎晩わたしは殺されて、朝になると生き返り、また夜には殺される。」と表現しており、自分が何をされているのか理解しています。

ただでさえ世間から誘拐事件で傷物にされたと思われているのに、本当はいとこから傷物にされていたことが知れれば、“親族にもロリコンにも傷物にされた女の子”というさらなるひさんなレッテルをはられてしまいます。

一方で、本当は性的虐待などしていない文のことについては、警官、カウンセラー、友人、恋人など自分に関わった人間に誤解をとこうと何度か話しては理解してもらえず、失望を何度も味わっています。

そんな環境の中、文と再会したことにより、更紗は文の前だけでは本来の自分を出せることを実感します。
本来の自分がじょじょに出てくることにより、亮が望んでいた“ひごが必要な自分に従順な女性”からはみ出していき、結果DVという最悪の事件が起こってしまいます。

そして、自分の周囲にわずかにいる“優しい人間”とも距離ができてしまったことにも気づきます。
更紗が働いていたファミレスの店長は、自分の妹が過去に性犯罪の被害者となり現在引きこもりになってしまっています。
そのためか、自分の妹と似た過去を持つ更紗のことをいろいろ気にかけてくれる人です。
とうとうファミレスを辞めざるを得ない時も、何とか更紗を辞めさせないようにあれこれと考えてくれました。
しかし更紗は「こんな優しい人とも分かり合えないことに絶望してしまう。」と漏らしています。

物語の最後の方で警官に“いとこから性的虐待を受けており、助けてくれたのは文だけだった”ときちんと話していますが、話した後に更紗はこんな風に語っています。

せっかくの善意をわたしは捨てていく。だってそんなものでは、わたしは欠片も救われてこなかった。」

更紗はいとこからの性的虐待を言わないことで、世間とどうにか友好的な関わり合いを持とうとしていました。
しかし、いとこからの被害を他人に話すことで、更紗は世間との友好的な関わりを持つことをあきらめたのです。

世間から理解されることをあきらめた2人は、たった1人の理解者をえますが、2人だけでこれからもひっそりと生きていくのでしょう。

「流浪の月」の登場人物

・家内更紗
主人公その1。
9歳の時に誘拐事件に巻き込まれ、2カ月犯人に監禁された少女。
…と世間では思われているが、実際は両親がいなくなり母方のおばに引き取られた先で心身ともに限界がきていた所を文に助けられた。
高校卒業後、ファミレスでバイトをしながら恋人と同棲していたが、たまたま入ったカフェで文と再会をはたす。

・佐伯文(南文)
主人公その2。
自身が抱えていた秘密のため、精神の限界が近かった19歳の頃更紗と出会い、2カ月間一緒に暮らす。
更紗と一緒に出かけた動物園で彼女への拉致監禁容疑でつかまり、“ロリコンの性犯罪者”と世間から思われている。
今は“南文”と名乗り、夜から深夜にかけて営業しているカフェ『calico』のオーナーをしている。

・安西佳菜子
更紗が働いているファミレスの同僚。
バツイチのシングルマザーで、仕事をかけ持ちしながら娘を育てているが、男性に依存する傾向がある。
それほど他人に干渉する人ではないため、更紗とは妙に馬が合った。

・安西梨花
佳菜子の娘。
家庭環境のせいか年の割にしっかりしており、母親の性格をよく理解している。
母親が恋人と旅行するため何度か更紗に預けられ、彼女を通じて文とも仲良くなった。

・中瀬亮
更紗の彼氏。
実家は山梨で果物の農家をしており、おいおい実家に戻って家を継ぐ予定。
幼い頃父親のDVで大好きだった母親が逃げたことが心の傷となり、自分から逃げられない家庭環境でかつ従順な女性を好む傾向がある。
彼の心の闇が解放されて新しい彼女と幸せになるか、それとも同じことを繰り返すのか知りたいところ。

・南さん
文の彼女。
文とは心療内科で出会い、交際をスタートさせるが文がなかなか心を開いてくれないことに悩んでいる。
なんやかんやで本編内で一番ひどい目にあった人。
文のことなどさっさと忘れて彼女なりの幸せな日々をすごしてほしい。

「流浪の月」の解説

・更紗と文ってストックホルム症候群なの?
本文で更紗は亮から文との関係を“ストックホルム症候群”と指摘されます。
ストックホルム症候群の説明として、下記を引用させていただきます。

ストックホルム症候群は、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者についての臨床において、被害者が生存戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くことをいう。
(中略)
メディアやポップカルチャーにおいては、被害者が犯人と心理的なつながりを築くことについて「好意をもつ心理状態」と解釈して表現しているものが多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

世間的にはロリコンの文が更紗を誘拐、監禁したと認識されているので、亮の指摘は真っ当ではあります。
本当の所はいとこの性的虐待で肉体的にも精神的にも限界にきていた更紗を文が特に事情も聞かずに自分の家で面倒をみてくれていたので、2人の関係はストックホルム症候群には当てはまらないでしょう。

ですが、2人の関係は単なる保護者と被保護者との関係でもありません。
文は文で自身が抱える体の秘密によって、精神的にかなり追いつめられた時に更紗に出会い、ともに生活することで彼の追いめられた(自分で自分を追いつめていただけですが)心が癒されました。

幸か不幸か更紗も文も、共にすごした2カ月間の生活が“かけがえのない時間”として色あせることはありませんでした。
そのため、2人は再会することにより急激に距離を縮め、結果、世間に迎合するのをあきらめ、2人だけで一緒に生きていくことを決めたのです。

2人はストックホルム症候群ではないですが、お互いがお互いを依存している関係(心理学的な共依存ではない)のように私には見えました。

・文の病気って何?
本編では具体的な病名は出ていませんが、「類宦官症(るいかんがんしょう)」という病気があてはまりそうです。

類宦官症とは、声変わりやヒゲなどの男性特有の二次性徴が発来しない病気です。男性が男性らしく変化するためには、精巣から分泌される男性ホルモンのはたらきが重要ですが、この男性ホルモンが適切に分泌されないことが原因で類宦官症は発症します。

出典:Medical Note 類宦官症について
https://medicalnote.jp/diseases/%E9%A1%9E%E5%AE%A6%E5%AE%98%E7%97%87#:~:text=%E9%A1%9E%E5%AE%A6%E5%AE%98%E7%97%87%20%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%20%E3%81%A8%E3%81%AF,%E7%97%87%E3%81%AF%E7%99%BA%E7%97%87%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

男女とも第二次性徴期は自分や他人の体の成長について特に敏感な時期ですから、自分だけ変化が起こらないというのは焦りや恐怖は計り知れないところです。

『流浪の月』は98%が更紗の視点、1.5%が文の視点、残りの0.5%が第三視点で書かれています。
一人称小説の良いところは語り手である人物の心情がよりわかりやすく書かれているところです。
逆を言えば、語り手の主観しか書かれないので、語り手にとって都合の悪いところなどは都合よく改変されたり無視されている場合もありえます。

今回の語り手である更紗と文はどちらも誘拐事件によって人生を狂わされた人たち(だと世間では思われている)ですが、更紗にとって文とすごした2カ月間は“自分らしくいられた時間”で、文にとっては“自由な時間”でした。

これだけだと2人の仲が恋愛的に発展しそうな感じですが、本作では2人ともお互いを必要とはしていますが、“恋愛的”に必要とはしていません。
更紗は何度か本作で“文とはキスもしたくないし、抱き合いたくもない”と語っていますし、文も更紗に対してというより“誰に対しても性的な関心は持てない”と語っています。

更紗と文、彼らの関係は何と言うべきなのか、そして彼らはおかしい人たちなのか。
主人公の2人はそのことについて考えるのを放棄したので、結論は読んだ読者それぞれにゆだねられています。